生きてる
疲労困憊、そんな時、中学生、高校生だった頃をよく思い返しては、自分がいま生きていることを実感し、疲れないための対策を考え出す。
実家へ帰るために乗る新幹線から見える都会のビルの明かりや、マンションの明かりを見ると、なぜかふけってしまった。
みんなも同じように悩んで、この夜を過ごしているんだろうか。
疲れているときになぜ昔を思い出すのかというと、私は田舎暮らしがあっていなかった。周りの目をいつも気にして居なければいけなかったし、海や山に囲まれた田舎だったので、楽しい遊びは特になく。親にはとにかく勉強をさせられ、監視され、いじめにあい孤立もさせられ、逃げ場もなく、家族が寝静まった夜中、よく窓を開けて真っ暗な空に光る星を見ていた。『無』になりたかった。
都会のネオンや団地、マンションの明かりを見ると、私の視界に入ってくる中で、1人は私と同じように悩んでる人はいるだろう。だから自分も頑張らなきゃ、そう思わされる。それが、自分は生きてるんだな、となぜか思うようになった。しかも、どうにもならないことで私よりうんと悩んでる人はいるんだから、ウジウジ考えてる場合じゃない、そうも思わされる。
まず私は疲れていない時がないようだ。考え込みやすい体質は直すことはできず、何とかなるとも思えず、何から何まで力を入れてしまうから。
自分のことがわかっていながら変えることができない、諦めることが出来ない、病気レベルなんだろうか、いつももどかしさを抱えているし、誰かが助けてくれるとも思えない
何に悩んでいるのかというと、自分が描く将来のビジョンに向かうためにどうすればいいかわかっていても、状況的に進めずにとどまり、その周りの環境に無理矢理頑張るように仕向けられてしまう、自分も負けず嫌いで飛び込んでしまう。
私は頑張らない、ということができない。
だから、頑張らない意識を身につけるために、そんな本ばかり読んでいる
自分のことが信じられないからだと思う。
常に自分に自信がなくて、どんなに環境が悪くても、できないことを置いておくことが出来ない。少しでも手をつけないと不安だし、少し手をつけてしまったからには最後までやらなきゃという責任感に呪われている。
泣きたくても泣くことが出来ず、やらなきゃ、やらなきゃ、とにかく呪われている。
仕事では私も中堅クラスになり、指導するシチュエーションが増えてきた。
以前述べたことがあるように、私の職場の上司は上司とは呼びたくない人達で埋め尽くされている。
自分のことだけは必死で守る。
守るというのは、自分以外の周りの人達の出来なさを言って周り、上司として部下を守るという姿勢が微塵もない。決してみんな出来なすぎるわけじゃないのだ。育てなかっただけ。それもこれも、全て自分たちの都合のいいように周りに言いふらしている。上司が。直属の上司は2人いるが、そのうちの1人である男の方が厄介だ。
そんな環境に置かれたからには、私は必死に勉強して、言わせないためにやり続けるしか無かった。
タバコ休憩が多すぎる。タバコを吸わない人達はその間も必死に働いている。しかも、タバコ休憩なんかは誰も許していないはずなのに、上にいる人達がそうやって過ごしているのだから、だれも注意などできない。
助けて欲しいわけじゃない。
どうせ助けてくれないんだから。
お願いしても受けてくれないんだ。
もはや、上司失格
子供をしっかり見ながら仕事をするということは、物凄く労力が要る。
以前述べたように、8歳の子供を持つ私はシングルマザーだ。これが続くと子供まで犠牲になってしまう
それでも今、やれ、やれとつつかれ、とても大変な環境へ行かせられ、かつ新人教育も任されてしまっている。
どうしたら子供との時間も大切にしながら新人教育もして行けるか。そんなことばかり考えている。
もはや転職しかないのだ!
37歳目前にして。
子供との時間を獲得するために、重い腰を上げなければいけない。
私はもう、今の仕事が楽しくない。増して、一緒に頑張ろうと肩を並べる人が居ないことが物凄くストレスだ。
そして、人のことばかり言っている人が嫌いなのだ私は!そんなこと言いまわらずに、仕事しろ!
今日も毒舌すみません。