chinaT’s blog

『行き詰った‼』大丈夫、きっと。一緒に進もう。

経済的困難を乗り越える道:ひとり親の日々の努力

・大学卒業

・フリーター

・塾講師

・結婚

・出産

・離婚

・現在ひとり親

 

自分の中ではドラマにでもできそうな人生を送っているけど、マイナス思考が勝ってしまっていただけで、ひとり親でもなんてことない人生を送っていることに気づいた今日この頃。箇条書きにしてみると大したことない。

 

思い返してみたら、その時、その時を必死に生きていたし、それは今もこれからも変わらないじゃないか。

 

養育費が支払われなくなって、今までできていたことをできずにいたら、ものすごく苦しくて。今日は缶コーヒー一本を買うことをやめた。来週にはお米を買うことをためらっているかもしれないから。

 

人生を立て直す計画に入って1年が過ぎようとしているが、まだ継続中。

自分の経歴で判断されてしまうのか、ひとり親だからなのか…私はこんなにやる気に満ちていて、怠けることは嫌いで、常に努力という言葉を掲げて仕事をするのに。

どの会社も書類選考落ち中である。。。くそぅ

みんなもったいないことするよな~

 

本当は泣きたくてたまらないが涙が出ない。

 

何となく幸運が待っている気がしてならないから。

根拠はないけど、私には目標があるから、なぜか前向きになっている自分がいる。

 

税金を還付するとか、子供へ給付金とか、子供が一人しかいないと大した足しにはならない。

高齢者支援とか、価格高騰とか、ひとり親を助けてくれ。

そう思っているのは私だけなんだろうか。

必死に仕事しても増えない給料ならば、やはり挑戦するほか手段はない。

 

私にはグレーに見えている今の世の中に、光が差し込むように日々邁進。

 

(追記)

お金はないが、子供の英語習得の為にお金をかけている。

3歳ころから始めているが、彼女の実力は既に私を超えたか…?

彼女の財産になるなら、私のお昼ご飯はおにぎり一個でいい。

病気は絶対しない!!

退職後は各地めぐるんだ!!( `ー´)ノ

 

ひとり親の皆さん。

日々大変ですね。私もすごく大変です。

頑張るって言葉は嫌いだけど、でも自然と頑張ってしまうんですよね。

子供の笑顔の為に。

子供の笑顔が一番の栄養ですね。

白いキャンバス

決意をした。

養育費が支払われなくなって、あと4カ月が経過すると1年を迎える。

その間、3度連絡を取ったが、既読スルー、催促したときには「東京に戻ったらすぐに入金する」「わかったよ!」

そのやり取りをするだけで精神的苦痛と不安が付きまといました。

 

今後の生活はどうなってしまうんだろう。

給料は中途半端で、児童扶養手当を受けるにも、年収がそれなりにあるという基準でその手当も受けることはできず。

年収がそれなりにあるという基準自体、基準額が低く、簡単に対象から外れてしまっている。そこに重くのしかかる物価高騰。

企業はそう簡単に給料を上げられるわけもない。

生活を考えるだけで、上を向いて歩くことが出来ずにいました。

彼からもらう養育費を使い込んでいたわけではなく、子供の将来の為の貯金をしていたが、その貯金ができないことにいら立っている。

いら立ちや焦りは消えることはまずないだろう。

 

お金を稼ぐために小学生の子供との時間を削るのも断腸の思い。

まだそのレベルまで達していないことに安堵している。

 

 

いずれこんなことになった時の為に、家庭裁判を経ての離婚をし、調書も作成しているが、まずその気力が起きない。

 

彼と縁を断ち切ることで、苦痛とも無縁になれるだろうか…

そんな風に考えるようになった。

『これが泣き寝入り』というものなのだろうか。

 

私にとってよい選択にしか感じないのは…

彼は私にとって『負の要素』であることが、最近わかってきたからだろう。

 

将来が見られるわけではないので、どうなるかわからない。

それでも、思い切って断ち切ることで違った道を歩んでみることにした。

 

私が元気で健康に仕事をしてさえいれば、どうにでもなる。

そんな風に思うようになりました。

 

振込みのずさんさから、いつかは…

それがこんなにも早く訪れるとは。

8年ほどでなくなりました。

相変わらず言い訳や弁明さえない。

 

それでも非常に前向きに生きることが出来ている。

『負の要素』がなくなったから。

 

 

残念なのは、今後、子供は『パパ』と呼ぶ人とは会わなくなる。

もうずっと会っていないが。

もともと残念なことをさせられてきたからなのか、会いたいとも言わない。

それもまた胸が痛む。

この子はきっと、私に気を遣って『パパ』の話さえしなくなっていくんだろうな。

 

 

その分、毎日たくさん抱きしめて『かわいいね、愛してるよ』と伝えると、

「幸せ!!!」「ママの所に生まれてきてよかった!!」と満面の笑顔を見せて言ってくれる。

この子の表情を、成人しても、おばさんになっても守っていきたいと思う。

 

 

私にとっても、子供にとっても、総合的に幸せでいられるように

キャンバスを新しいものに替えて

今度は鮮やかな色だけで

色付けをしていきたい。

 

 

再スタートは何度でも切ることが出来る

 

自分の為にも、子供の為にも、

心理学カウンセラーの資格取得に向けて勉強を始めてみました。

そのきっかけとなったお話は今度させていただこうと思います。

 

いつも幸せで心が満たされますように。

 

px.a8.net

大丈夫と言わないで


芸能人の自殺が相次ぐ。

それを受けて伝えたいことがあります。

 


大丈夫とは言わないで。

自殺を考えている時点で大丈夫じゃない。

 


過去に自殺企図が私にもあったので他人事とは思えず、黙って見ていられずにここに記そうと思います。

 


周りに頼れる人が居ない

そう思い込んで居るだけで、頼っていい人は必ずいるはず。

 


あなたを苦しめる人よりも、あなたがいなくなる事で苦しむ人の方が多い。

あなたを苦しめる人はその時限りの人にすればいい。

 


うざったい偽善も、見なければ見えない。

努力が報われないこの世の中でも、諦める事を覚えることが出来たなら苦しみは半減する。

諦めることが出来ないから苦しいだけ。

 


逃げたって、またそこで新しく歩めばいい。

どんな些細なことでも、笑顔になれる日が絶対来るはず。

 


人とは違っても、それが特別な事だと自負すればいい。特別な自分をどう見せるかで違う。

笑いたくなければ笑わなければいい。

 


誰にも語ることの出来ないその過去は、封印してしまえばいい。誰にも見つけられない所へ。

いつか満足に浸ることが出来た時、その時を思い出してもあの頃のことは二度と繰り返さないようにしようと思えるはず。

 


その代わり、非行をしたりして、自暴自棄になるのでなく、恥じない生き方は貫かなければいけない。

 


それさえ出来ていれば胸を張っていいはず。

素直に生きる。

誰にも邪魔はさせない。

間違えたら修正する。

その繰り返し。

 


そうやって生きているうちに、きっと普通に生きていられる。

 


誰かを頼ってしまったなら、その人にも自分を頼らせたらいい。

 


色んな事は起きるけど、人生そんなに長くは無い。

その日、その時を大事に生きることは簡単ではないけど。

 

どうか、どうか心安らげる居場所が見つかりますように。

ひとり親として生きる覚悟

最近、とある会社で育児と仕事を両立するために子供が18歳まで、正規雇用、非正規雇用問わずに時短を認める、というニュースに驚いたと同時に羨ましかった。

時短ともなると給料が減るのは免れない。

それでも子育て世代への理解を見せ、柔軟さが見て取れた。

状況的に時短でなど到底生活してはいけない。だから、そんなニュースには縁など感じなかった。

悲しかった。ひとり親の為の体制が会社にはないということ。

ひとり親と発しただけで『何時まで残業可能ですか?』と問われる。

残業して当たり前のこの社会に嫌気がさす。

私が離婚という、いや、その人と結婚をしたこと、子供を産んだことに後悔させるように仕組まれているように感じる。

ただ一度踏み外しただけで、明日貯金がなくなってしまう、そんな極端な考えに至ってしまう。

でも私は後の面倒を考えると、離婚していることは隠しはしない。

こんな暮らしと無縁の家族には、そんな理解できまい。

 

冷静さを取り戻そうと努力する。

会社は残業できる人が必要なのですか?仕事をこなせる人よりも?

 

『残業』や『休日出勤』という言葉を耳にするだけで、突き放されたような、そんな感覚に陥る。絶望に近い。

日本は残業しないと世の中が回らないんだ…

それか、完璧主義の企業に付き合わされ、自分を見失いかける。それが嫌なら転職しかなく、その転職さえも難題が多いひとり親。

 

選んでなどいられないのだろうか。

 

ごめんなさい。

私はあきらめが悪く、自分を信じて生きていきたいので、世の中の普遍に付き合ってはいけない気がする。

 

何のために生きているのかを大切にしたいし、その中心にはかけがえのない子供がいる。

こんな社会に負けたくない。

 

現在養育費が振り込まれず、もうすぐで半年になる。

おそらく、二度の催促に嫌気がさし、私をブロックしたのだろう。

LINEにも既読はつかず、前回の連絡には返信さえない。

 

それでも、私は子供の為にできる限りお金をかけ、習い事をさせ、金銭的にきつくても、このお金の使い方に満足している。

あいつにはこんな満足、味わえまい。

自分が満足に生きるだけ、そのことにしがみついている。

金銭的に潤うことはなくても、心は満たされている。

 

さて、この世の中とはどうやって付き合っていこうか…

できるだけ平常心でいられますように。

いつまでも続くわけじゃない、自分の最低ライン

人生の節々で訪れる「最低」はいつまでも続かない。

もしその最低な期間が長くても、いつかはそこから抜け出せる日は必ず来る、そう信じていた頃がある。

事実そうだと思う。

そう思わないと、立ち上がることが出来ないほどずっと苦しかった。

私よりも辛い思いをしている人は絶対に沢山いるし、その人達と比べたらきっとちっぽけに違いない。

そう思うようにしないと気がおかしくなりそうだった。

モラルハラスメントを受け続けて、自分を大切に扱えなくなってしまった。

もともと我慢することしか知らなかった。

 

大丈夫、大丈夫と思えるようになったのは、彼と離婚して9年が経過した今だと思う。

不安要素なんかは絶えずあるけれども、子供の笑顔を守り続けるのは私しか居ないし、私の心の平静を保つ為には子供しか居ない。

いわば「運命共同体」。

 

彼にはその運命共同体の存在はきっと、一生訪れないと確信している。

なぜなら、彼は幸せを共有することを知らないから。

 

彼の金銭面が尽きてしまえば大変困った問題になりますが、その際は自分の娘には一生会えることは無いだろう。

 

最近、その金銭面に不安要素が滲み出てきている。私にはそんな風には見せないようにしているようだが、何か感じるものがある。

 

彼には何も残らないだろう。

助けてくれる人もきっといないだろう。

 

 

私はとにかく、人間扱いを受けなかった。

そうだったことに気づくのも結婚してからで手遅れだった。

だから月日が経ち、幸せをやっと存分に感じられるようになった今では、彼と別れるタイミングが沢山あったことに気づき、浅はかだった自分を非常に恥じている。

 

そんな中でも酷かった。

付き合ってまだ浅い頃。

当時欧米番組で人に迷惑をかけてバカをやって笑うというのがあった。

彼は何枚も続くDVDを借り続けていた。

私はその番組が大嫌いだった。

汚いこと、最低なことをして、何故そんなにゲラゲラ笑えるのか理解が出来なかった。

 

その時点では単なる趣味の違い。

ただそれを観て笑う彼を見てイライラしていた。

 

ある時、私がシャワーをしていた。

しゃがんで頭をシャンプーしている時だった。

扉を開けられ、後ろでゲラゲラ笑っていた。

後頭部に何か温かいものを感じた。

 

おしっこを私の頭に向かってしていた。

 

泣いてキレた。

何度洗っても洗った気がしなった。

 

別れれば良かった。

なぜ謝罪を受け入れてしまったのか。

当時の私は、、、

一体何を迷ったのか。

思いきれなかったに違いない。

大学が一緒だったことが引っかかっていた。気まずさに負けそうで。

 

そんな過去をふと思い出すたび、誰にも打ち明けることのできないこの過去を消し去る、いや忘れる催眠術にかかってしまいたい。そうすれば私の心はきっと、少しは楽になるだろうに・・・

 

要らない経験値、捨て去ることさえできない経験値

私の最低はまだ一つ残っているが、ひとまずここまでにします。

 

 

人の最低な体験談を聞くと、つい自分と比較して『自分はまだマシだ』そう思って慰めていたことがある。皆さんもきっとそうだろう。

『だから、まだ自分は耐えられるんだ』

どうかそう錯覚しないでください。

自分と他人を比較して安堵するのではなく、自分の感性に基づいて、自分の大切なルールを貫いてほしいです。

 

 

あいつの奇行②

彼は元々占い好きだった。20歳ころ四柱推命にはまっていた印象が強いし、好んで占いをしてもらっていたイメージがある。

私も嫌いではないが、「自分の事は自分がわかっていて決断するのも自分」といった感じだったので、彼の行動が異常に見えていた。

もちろん、何も言わなくてもピシャリと当てられてしまうこともあるので、信じないわけではない。

 

 

私が立ち会わない面会で彼は娘をあちこち連れて行ってくれるが、オリエンタルランドなどに行かない以外は奇行が多い。

 

例えば、幼児の手相をみてもらう。6歳ころが初めかな。占い師さんには申し訳ないが、子供の未来を決めつけたように見てどうする?私的には無限の可能性を秘めている子供の未来は決めつけたくない。

 

もう一つ。(本当は数えきれないが)

コロナ禍の面会ではもっと・・・おかしくなっており、皮膚を採取した?(娘いわく)

彼は自分のDNAを診てもらったことがあるらしいが、娘のDNA結果(すべて英文)を送ってきた。

「この子は〇〇という病気になる可能性があるから気を付けて」「俺と同じDNAだから」

 

馬鹿なのか。当たり前だろう。それに子供の健康を考えていないわけがなかろう。それから、気を付けてもかかることを避けられないならどうもできないじゃないか。

しかも、病気にかからずに皆が死ぬと思っているのか?一握りでしょう?

100歳まで子供に迷惑をかけながら生きるものか、って自分なら思う。

全て英文のため、訳すように言っても何も反応はなく、自分は説明を受けたであろうがすぐに破棄。英語は得意な方ではあるが読む気なし。それに自分はこの英文読んだのか?理解したのか?すべて疑問。

 

DNA診てもらうなんて・・・よほど暇なんだな。そんなもの診てもらってどうなるのか。

彼はよく言うそうだ。「世の中の美味しいものはすべて毒だ」

肉・牛乳・パン・米などなど・・・

 

子供はその栄養を吸収して成長するのに、愚か者それをとったら成長しないじゃないか。

誰か助けて・・・付き合いきれない・・・

そのくせ、100%フルーツジュースを飲ませている。

糖分ですけど!!!!

なんでも過度が良くなく、、というのも通用しないのでここで終わろう。

 

彼と結婚することを選んだ当時の自分に言いたいことがある。

『別れようと思ったことは何度もあるはず。その時の判断は間違えていないよ』と。

 

そんなことを言っても戻れるわけではないし、娘という宝物がいるだけで幸せだ。

 

別れたいけど別れられない・・・当時あったその考えは私の愚かな判断へと繋がっていったのです。

だから、私のブログを読んでくださった方々へ伝えたいことがあります。

自分の気持ちに素直になり、一人でも多くの方が救われますように。

(大げさでしょうか?w)

何事も経験して自分という人間が成長するのだと思えば、世の中大概の事は悪い方へは向かないのでしょうが、あまりに極端な人生は、自身の体力・気力の消耗へとつながりかねませんので、皆さんどうか心も体も健康でいてください。

 

あいつの奇行①

    

 

離婚後、彼の奇行はエスカレートしていく。

周りに指摘する人はいないのか、止める人はいないのか、両親でさえも彼のいいなりのようだ。本当に残念な父親だ。

私は少しの時間でも並んで歩きたくない。(歩くことはないけど)

子供に悪影響が及ばないように、子供に指導するのも一苦労。なぜなら、父親が言うことは全くの赤の他人が言う言葉より信用できるからだ。

まだ理解力がなかったころは、父親がいないという寂しさを少しでもないようにしてあげようと、彼を悪く言わなかった。

 

そのおかげで今、さほどひねくれてはいない。

今後影響しない様に必死である。

 

娘も一時はあった。

しんみり泣いてみたりして、なぜママとパパは一緒にいないのか・・・

きたー・・・って感じだった。

その時はわかりやすい様に言って聞かせていた。

理解できていないようだが、「きっとそのうちあなたもわかるようになるから」といってその場をしのいできた。

今はパパは何か変な人、という風に変化してきたようだ。

現在は泣かれることも無ければ、一緒に暮らしてほしいとも言わなくなった。ほっ。

 

娘がそんな風になったのには、彼と遊びに行ったときに感じたものが積み重なったに違いない。

 

そんな彼のところに娘が遊びに行くのも、養育費をもらうことと面会が交換条件になっているからだ。おかしいでしょう。養育費をもらうため。

親なら子供を育てるための当然の義務なのに、離婚をすることで払わない人がいるとか。彼もその部類に入ると思っていたから、私は会いたいならお金を払うこととした。不思議な感覚。考えれば考えるほど。離婚することが悪いことみたい。

 

 

ある時、娘だけが彼の所に遊びに行った。

「何か欲しいものある?」その言葉に甘えた当時6歳(保育園児の娘)が悪かったんでしょう。

私はあまりおもちゃを買い与えなかったものだから、彼と会う時はねだってしまうことが多かったようで、その時迎えに行き、引き渡された時の娘の小さな手に大きなおもちゃの入った紙袋が。大きさは娘の伸長の半分を超えていた。

心臓に何か刺さったような感覚。

私と娘が二人になった瞬間、彼女は「重かったー」といった。

「え?ずっと持ってたの?」

「うん。だってパパがおもちゃ買うなら自分で持ちなさいって。」

 

泣きたくなったのを覚えている。

紙袋が結構ボロって見えたので、もしやと思って聞いてみた。

「おもちゃはさっき買ってきたの?」

「ううん。」

「いつ買ったの?」

「パパと会ってから。」

「その後は?」

「遊園地に行ってきた。」

「え?その間はじゃあこのおもちゃ、パパが持ってたんだ?」

「ううん。おもちゃを買うって言ったのは自分なんだから、自分で持ちなさいって言われた。重かったー。」

殺意が芽生えた。抑えるのに必死だった。

 

「これからは、パパに何か欲しいものあるか聞かれたら、持たされるの嫌だから要らないといいなさい。おもちゃが欲しい時はママに話して。」

その日は泣きました。この子に必要な人なんだろうか、それでも父親という存在が必要なんだろうか、自分の判断は間違えたんだろうか、養育費はもう要らないと言おうか…

 

それからの面会は、聞き取りするようにしている。

 

今回はこの話だけにして終わろうと思う。

自分のログをとるようにしてアウトプットしていこうと思います。書いていると胸が締め付けられてくるので。全く彼に対して耐性ができない。

 

娘が幸せに年を重ねられるように、この事だけにフォーカスして、子供を産んだ母親としての責務を全うする人生にしたいと思う。

もちろん、自分を大事にしながら。