chinaT’s blog

『行き詰った‼』大丈夫、きっと。一緒に進もう。

モラ夫から離れる決意‼‼

前述ではモラハラ夫(以後モラ夫)との結婚から出産までのエピソードでした。

今回はモラ夫から離れる決意をして、行動に移すまでをお伝えしたいと思います。

 

あくまでもこれは、私のエピソードです。離婚を経験している人ならわかると思いますが、別れ方はひとそれぞれで、その後もひとそれぞれです。ですが、離婚に踏み切れない人や同じようにモラ夫に悩まされている人の助けになれたら幸いです。(^^)/

 

後にも先にも、モラ夫と一緒に暮らし、死ぬ間際まで一緒にいては、人生で獲得し得る幸せは半減、いやそれ以下かもしれません。モラ夫にもいろんなバリエーションがあると思いますが・・・

私の場合、離婚を決意した当時は子供がまだ7カ月でした。離婚するか、何事も聞き流して現状維持か、どちらがこの子にとって幸せになるんだろう・・・今でこそ女性差別をなくそうとしていますが、昔はモラハラは日常茶飯事だっただろうし・・・そんなことをウダウダ考えていましたが、急に悟りを開く時が来たのです。

その日も自殺願望はあったのに、正午過ぎ、急に思い立ったかのように実家の母へ電話をし、「少し帰ろうかな・・・」その言葉一つで母は察したそうです。

 

少し前の出来事でした。彼に反抗心が隠せませんでした。私の中で糸が切れたのを感じました。どんな事をきっかけにそうなったのかは思い出せないのですが、気づくと娘を抱いたままの状態でモラ夫は私に馬乗りになり平手打ちを続けたのです。気が済んだのか彼がやめたその後、警察を呼ぶようにと私。←なぜか自分では電話しなかったのです。なぜかは思い出せません。つけていたメガネは飛び壊れていました。

彼は言われるがまま電話をしている。ついに警察が家に来て、私の第一歩が始まると思いました、そのきっかけが、自分を逃がさないようなきっかけづくりをしたかったのです。彼も何を思ったのか、真夜中の23時過ぎ、私の母親に電話をしていたのです。「私が暴れている」と言っていたと思います。暴れてはいませんでした。子供を抱っこしていたので。子供は泣きもせずスヤスヤ寝ていて、それを見て申し訳ない気持ちで涙が止まりませんでした。

 

私の母は、私を真面目で誠実に育つようにしてくれていました。悪い気持ちも抱くことなく育ちましたし、大事に育ててくれました。

ですので、彼から電話が来ても、彼に言った言葉は、

『何か理由がない限りはそんなことをする子供じゃない』

その言葉に対し、『そうかもしれません』

 

さすが、私の母は私の見方でした。

ですので、「少し実家へ帰ろうかな・・・」というと、なぜかとは聞かず、「帰っておいで(^^)」と。そのあとはすぐに荷物をまとめ、翌日には家出を図りました。何も言わずに出ました。モラ夫はまたしばらく家には顔を見せませんでしたし。

 

実家に戻ってからは、離婚する決意で帰ってきたということを両親に伝えました。家族会議でした。母は非常に前向きな人なので、私の気持ちを第一に案じてくれました。父ももちろん、私の見方ですが、昔の人の考え方なのか非常に慎重だったことを記憶しています。私よりも自分の孫を『不憫だ、不憫だ』といっていました。そして父は毎日仕事の休憩時間に離婚相談をしているラジオ番組をきいて情報を集めてくれていました。

 

モラ夫からはどうしたのかとか、どこにいるのか、とか一カ月ほど連絡は一度も来ませんでした。むしろ家にはその間帰らなかったのかもしれません。

 

やっとメールが来たとき、もう帰らないことを伝えました。それに対しては『話し合おう』と返事がきましたが、私の気持ちはもう既に進んでいました。『話し合いはしない。今まで何度私から話し合いをしようと言ったか。結局何も解決してこなかったし、今後もそうだ。だからもう帰らない』

『わかった』

 

私の頭の中はしばらく真っ白でした。これでいいんだ、なんてそんな素直に思える事でもない。好きか嫌いか、愛はあるのかないのか、そういう次元の話はなんだかよくわかりません。嫌いにならなきゃ、そんな気持ちでした。好きかもわからないのに。

 

しばらく自分の部屋にこもり泣きうなだれました。終わった。

 

私の母は、ずっと前向きな言葉をかけ続けてくれました。

今後は絶対いい人生になる!いい人生にするように!強くなれ!

そんな言葉だったと思います。母は偉大な存在です。私はそんな母にあこがれています。モラ夫とのそれまでの生活は、聞いた両親のショックが大きいと思いずっと伏せてきました。離婚から7年が経過し、やっと打ち明けることができ、互いに泣き、すっきりしています。

 

父とはその後何度もけんかをしました。女手一つで育てる、そんな簡単に考えるなと。簡単に考えてはいませんでしたが、家族を養うということがどういう苦労を伴うのか、父は男性目線で厳しかったのです。そのことについて幾度となくけんかをしましたが、正しいんです。これからは母の役目も父の役目も果たさなければいけませんから。

 

私は子供とたった二人残る決意をしました。実家に戻りゆるりと暮らしていては、自分の為にも、子供の為にもならないと。以後子供にたくさん選択肢を与えねば。苦労させてしまう分。親の勝手で自分の境遇を恨まない様に。

 

家庭裁判所を通して離婚することになりました。

それに対しての否定はなかったようです。すべて父を介したからでしょうか(;^ω^)

モラ夫と話をし、揺らがない様にしたかったのです。

何度か青森と神奈川を行き来し、仕事の面接でも何度か訪れ、仕事も決まりようやく再出発。大変でした。大学受験よりも頑張りました・・・とにかく、良い出発を迎えることができ、私を支えてくれた人への感謝は忘れません。

 

 

シングルマザーは大変です。でも、離婚せずに泣いている自分を思うだけで、どちらが幸せなのかは明快です。子供二人との暮らしは、幸せしかおちていません。

 

その後もシングルマザーとしての苦労は続きますが、今回はここまでにしておきます。

『手放すことは、強くなるための前進』

『諦めることは、負けではない』と思います。

 

今辛い思いをされている方へ~

~絶対、明るい未来があるはずです、だから、苦しみから逃れる道を探してください~